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気が遠くなるような時間の流れの中。 昨日も明日も変わらないような毎日を生きている。 退屈、だなんてものじゃない。 それはもはや、時が止まったかのような毎日で――。 いきなり、扉が開いて、空気がさっと入れ替わる。 そのあまりの冷たさに、思わず首をす…
「どーう、とくー」 「ん、なんだ?」 珍しく珍しく、雲中子が道徳にぺたぺたと触れて、じゃれてくる。 「ねえ、道徳ってさー」 バンダナを軽く引っ張ってから、手を離す。 ぱちんと音がして、道徳が一瞬顔を歪めた。 「なんだよ」 「道徳は、なんでこんなに…
細く月が浮かぶ空は、西の端だけが仄かに明るかった。 ゆるく蛇行する川面を、きらびやかに流れてゆく、いくつもの灯。ぼうと明るく、薄紙の彩りを浮かび上がらせる。川面に映り込む灯が揺らめいて、幾重にも増す神秘的な空気。 流れ行く灯籠を観察するふり…
目が覚める。朝、かどうかはよく分からない。いつものこと。 呂岳の生活に、外の世界が朝か夜かなんて関係なかった。だから、外へ出ようとしたのはほんの気まぐれだった。星が見えたらそれで良いし、太陽の光を浴びるならそれでも良い。そんな軽い気持ちだっ…
『どうか、良き名を――』 mama 何かに呼ばれる声に引かれるように、次第に意識が確かなものになってゆく。 「ナタク、ナタク」 どうやら実際に呼ばれていたらしい。目を開けると、知っているようで知らないような顔が覗き込んでいる。煩わしそうに一度目…
「――道徳、ちゃんと手洗ったかい?」 「洗ったよ! 当たり前だろ!」 「うるさいなーもう。早く始めてよー」 「ん。太乙はちゃんと髪結んでね」 「かわいい?」 「もちろ…」 「ああっ!! 太乙は可愛いに決まってる!!」 「「うるさい」」 「はいはい、始め…
雲中子が呂岳という妖怪と仲良くなり、何かの戯れに、酒を共にした時。 素面でも何かに酔っているような呂岳はいつもに増してキマった様子で、頬に朱を差して、ただしその独特な口調は保ったまま、雲中子に問うた。曰わく。 「――なァ貴様。ヒトの死体は、人…
「私って、道徳の、なんなの?」 「へ?」 お互いがどうして一緒にいるのだろう、と、疑問に思ったときが恋人として最初の修羅場。そう聞いたのはどこでだっただろう。道徳はそんな事を少し思った。 「何って……恋人、じゃだめなのか?」 寝そべってテレビを…
ドン! もう聞きなれてしまった気がする、その音は。 また1つ、魂が飛ぶ。 「魂」は天へ、「魄」は地へ還る。 今日は確か太乙まであの船に乗り込んでいた筈だ。頭の中で呟いて、空を見上げる。ふわりと弧を描いて光が走った。一瞬、どきりとする。 太乙だけ…
雲呂。何気にらぶらぶ。 「ユエ、私の愛しいユエ」 「…そんなに月(ユエ)が好きかァ?」 「ああ。手に入れたくてたまらないね」 「どこがそんなに良いんだァ? …キサマには、もっと眩しい太陽があるだろ」 「太陽は私には眩しすぎるんだよ」 「ふぅん」 「そ…
それは、夕方からの儀式だ。 夕昏。青々と晴れわたっていた昼間から一転、鮮やかな赫に染まる空。 沈みゆく太陽は、真西を示し、人々を導く。 彼岸へと。 「古い人間でごめんねぇ」 一人、呟く。 ほんとうは、黒衣の友人が隣に居てもいいのだけれど。 彼は彼…
午睡から覚めたまどろみの瞬間。 もう一度眠りに落ちようとして瞼を閉じる、その一瞬前に視界の隅で何かが光る。少し迷って、手を伸ばす。携帯端末の角が、メールを受信した事を示す色で点滅していた。 道徳だったら無視しよう。 雷震子だったら件名を見て決…
数日後、太乙が連れて帰ってきたその子供は、写真で見る以上にずっと「誰か」にそっくりだった。 「はじめましてっ」 たどたどしく拝礼の形をとったその子は、もうすぐ4歳になるということだ。小さな身体で一生懸命、人見知りすることもなく、むしろ興味い…
杏色。甘すぎる桃よりも好きな果物の色。きっと他の人は帽子にこの色は選ばない。 だから私は今日もお気に入りの帽子を。 学帽をほんの少し意識して、でも茶目っ気のある飾りを揺らして。 邪魔にならないように髪も短めにしている。これは他の日常生活にも好…
ばんっ!!と、感嘆符を二つくらい携えて寝室に現れたのは、見知った男だった。 「…雲中子」 しかも、肩で息をして。こんな雲中子、初めて見た。 「………や、やあ道徳」 「おう」 だるい身体を上半身だけ起こす。そして、開けた扉に寄りかかったままでしばらく…
徳乙です。渋い抹茶に合うような甘ったるいものが書きたくなりました。 なんかちょっと現代っぽい。少なくとも仙人界じゃない感じ。(設定なんか適当です) いつもの夜。 深い夜空の向こう、宇宙の深淵に星々が瞬く。 人々は、その輝きに、届かない願いを託…
崑崙の、南の果て。 そこには、どんな物好きも近寄らないという、変人が洞府を構えている。 「――って言ったってよぉ、じゃあそこの弟子である俺様は一体何だってんだ?」 雷震子は、そう思う。 それに、彼の師匠は、噂ほど非道い男ではない。 何より、彼が赤…
それは、ほんとうに偶然だった。 道徳が飛行中の黄巾力士の上から、倒れている白い人影を見つけたのだ。 そのとき道徳が通りかからなければ、更にたまたま地上に目をやらなければ、 そしてそれが道徳の視力でなければ、見つけられなかったかもしれない。 う…
「あ…っつー……、ぃ」 「ああ、うん」 白衣は暑い。これは白衣が防護服の一種である以上、仕方のないことだ。 「こっちは向こうよりも暑い?」 「ん。っていうかァ、この山が、かなーん?」 勝手にエアコンの設定温度を下げる呂岳。ピ、ピ、ピ。と軽い音がし…
仙人界は雲の上だ。 けれど、さらにその上にだって雲はできる。 雲ができれば、雨だって降る。 そうして、最も雨の似合う花が、密やかに色づく。 そんな雨の季節を共に過ごした大切な人が、もう居ないなんて。 細やかな雨が空気を濡らしていた。 きっと、城…
たとえば、道徳などから見たとき、私と太乙は似たような立ち位置に見えるらしい。 首から下は不要だとまで言われても反論のしようがない私と太乙。 頭を使うのが得意とはいえない道徳。 カロリー消費に脳を使うか肉体を使うか。 確かに、そういう観点で言え…
依頼人は、太乙。なんだか不可解なものを抱えた表情で、唇を尖らせていた。 曰く、「なんかアイツ、おかしいんだよ」と。何か隠している。それはバレバレなのに、訊いても絶対に答えてはくれない。他の仙人たちと話しているところや、道士たちに稽古をつけて…
それは、思いがけない「出会い」だったのだ。 なんだか外が騒がしい。ふとそんな事に気が付いたのは、昼下がりだった。実験にひと段落ついて、それも最高の結果がでたのでいつになく上機嫌だったのだ。気持ちよく茶菓子でも出そうかと思っていた矢先だ。 「…
夢を、見ていた。 低い身長のくせに腕はしっかりしてて、彼に抱かれていると居心地が良くて多分これは信頼して良い部類に入るものなんだろうと頭のどこかで思う。戯れているというよりも、その存在を再確認させてくれるような、そんな意図が見える抱擁。時折…
風のある日は、好き。 春は、暖かな緑の香りが運ばれて。 夏は、太陽の光にとても似合って。 秋は、落ち葉がたのしそうに踊って。 冬は、冷たさの中に自然を感じて。 でもそれは、あなたと一緒だからこそ。 緑の丘に遊びに行って、 太陽の下ではしゃいで、 …
「じゃあね太乙、ばいばい」 君は、いつもそう言ってウチを出て行く。振り返りもしない後ろ姿に、手を伸ばしそうになってぐっと堪える私なんて、きっと君は知らないんだろうね。 「さて……私はそろそろ帰ろうかねぇ」 「え、もう? もう少しゆっくりしてって…
空は青くていい天気、飯盒の飯も美味かった。緑は目に鮮やかだし、時折、小鳥が鳴く声だって聞こえてくる。 そんな幸せ気分にひたりながら、道徳は傍らを振り返る。 「なぁー、そんな怒ってんなよー」 「……べっつにー」 長めの髪を一つに束ね、暑さにうだる…
暗闇。 鼻をつく、血液の金属じみた匂い。 また、あの夢。 でも目は覚めない。 ――――!! 何度も見てるのに、いつも驚く。 『太乙……』 人が倒れてる。 それは、知人。 否、友人。 否、大切な人。 そう、清虚道徳真君。 『助けて……くれ……』 どう……とく……。 口…
朝、雨音で目が覚めた。 「んー……雨かぁ……」 普段滅多に雨なんて降らないから、私はいつもと違う事をしてみたくなった。 今日は一切宝貝を作らないことにする。 ゆっくりと、丁寧にお茶を淹れる。 戸棚から菓子を出してきて、テーブルに投げ出されていた雑誌…
「なんでこんなに穏やかなの?」 唐突な道徳の問いに、太乙は戸惑った。素肌で感じる道徳の体温に、うとうとしかけていたのに。狭い床の中は、暖かくて心地よい。 「はぁ……? 何言ってんのさ」 「心音だよ。55拍/mってトコ……」 人の胸に顔を埋めて、何を…